学校の安全
小学校に刃物男が侵入、教師を刺殺するという痛ましい事件が起こりました。
こういう事件が起こるたび、学校の安全について「不備であった」「よりセキュリティを高めねばならない」という論点の記事やエントリをたくさん目にします。
高いフェンスに鉄条網、オートロック、インターフォン、警備員、金属探知機……。
学校は、そのようにして守られた要塞であるべき。なにせ小学生は、自分で自分の身を守るといっても限界がありますから。
登校と下校のときには保護者が校門まで車で送り迎えしなきゃなりません。放課後、学校や公園で子どもが遊ぶなんてもってのほかです。学校内で起こる事件より、学校外で起こる事件のほうがはるかに、はるかに多いのですから。
登校児童で校門が混乱していたら、暴漢に襲われたときたいへんなことになりますから、武装した警備員が何人かで周囲を警戒すべきでしょう。
学校への訪問者にも、凶器を隠し持っていないかボディチェックが必要です(そんな危険な仕事は、やはり教師でなく専門の警備員にお任せしなきゃいけません)。
用もないのに学校を訪れることは、そうしたシステムにいらぬ負担をかけるので、慎むべきでしょうね。
そうした方向性も間違っているわけではないんでしょう。事実、事件は起こり、罪のない教師や子どもたちが犠牲になっているのですから。
わたしは、用もないのに学校に行きたいと思っています。地域のオッサンとして、放課後校庭で遊んでいる子どもたちと触れ合いたいと思っています。そうした触れ合いが、子どもたちの育みの上でかなり重要な意味を持つと信じています。地域の中の子どもたち。地域で子どもたちを育てる。セキュリティを極限まで高めるには、そうした要素を排除しなければなりません。地域の人だって、いつどんな犯罪を犯すか分かりませんからね。
我が子と、「よく知らない人」との接触を排除するのかしないのか。限りなく排除することが限りなく安全に近づくこと。極端に言えばそういうことなんでしょう。
わたしは、異質な人も、危険な場所も、体や頭に良くない遊びも、なんでもかんでも子どもたちに体験してもらって大きくなっていってほしいと思っています。その過程でいくらか傷つくこともあるかもしれない。
安全管理については、「理性のある犯罪を限りなくゼロに近づけるよう努力する」 つまり、捕まることを嫌がる犯罪者、人の目を気にする犯罪者に犯罪の機会を与えないことが一番だと思っています。要するに、子どもたちを取り巻く人の目をできるだけ多くする方向。残念ながら、人の目を多くするからには、その中に犯罪者の目も紛れ込んでくるでしょうから、捕まっても平気な犯罪者に対してはむしろリスクを高めることになるでしょうが。
いまの日本、そんなにも「捕まっても平気な犯罪者」(どこか理性がブっとんでしまった人)が多いんでしょうか?
わたしの考えは甘すぎるんでしょうか?
今日は伴侶が大腸ポリープ切除手術ということで、いちおう付き添ったりしていました。ほんの一瞬の手術でしたけどね。簡単なもんです。すぐに家に帰してもらえるし、食事もふつうでかまわないんだって。
悪性新生物ではなかったようで、よかったよかった。
ちなみに、PTAの会長は、役員さんみんなからチョコをもらう、などという風習はありません!


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