あれから10年
わたしはあの日、東京で仕事をしていました。はっきりとは覚えていませんが「大阪で震度5、負傷者16」なんてテロップが入り、ふーんと思った次の瞬間には倒壊した阪神高速の映像。それも、ウチのすぐ近くです。なんじゃこりゃー、で電話かけても通じず。同宿していた友人がもうパニくってしまって、おかげでわたしはすこし冷静になれました。とりあえず名古屋までは新幹線で行って、原チャリ買って関ヶ原を越えようか……などと手配を始めたとき、家族から無事避難しているとの電話が奇跡的にかかってきました。でまあ、仕事にゃならないけどなんとか仕事を片づけ、二日後に神戸へ。西宮北口から歩いていく道で見た光景は忘れられません。役所の前にはまだ遺体袋が置かれたりしていましたし。家も無茶苦茶。家族は兄の家に避難していたので、片づけられる範囲で家の中を片づけ、バイクで兄の家に行き、妻子を実家に送り届け、長い長い被災者生活の始まりです。
いま、もしあんなことがあったら……。
まずは家族の安全を確認。そのあとすぐ、小学校に向かうでしょうね。本部の方とか親しい人の家を片っ端から巡って安否を確認、地域の方と協力して助け出せる人を助け、一息ついたら避難所となった学校の運営を手伝うことでしょう。逆に、わたしが生き埋めになったら、心配して見に来てくれる人がきっといるはず。10年前にはひとりぼっちで苛々しながら暮らしていましたが、今ならそんなことはありません。わたしはもう地域の一員ですから。PTA650世帯の仲間が、校区内8000世帯の隣人がいますから。
10時、区P卓球大会の説明・抽選会に。さらっと挨拶して、あとはにこにこしながら聞いていました。担当校のみなさん、ご苦労さまです。ホントみなさん真面目できっちり。わたしにはとても真似できません。
帰って昼寝(わたしにとっての通常の睡眠ですが)して、市小P連の役員会。もちろん震災の話もあれこれ。バレーボール大会の反省。今週末に迫った父親シンポジウムの最終打ち合わせ。なにせわたしが世話役だから、ほとんど行き当たりばったりのシンポジウムだったりしますが。それでもきっとだいじょうぶな気がしているのは、鈍感なんでしょう。周りの方々のほうが「だいじょうぶか?」とはらはらしています。すみません。心配をおかけします。でも、予定調和のシンポジウムにする気が最初からあまりなかったりしますので。当日、どれだけ参加者のホンネを引き出せるか、真剣勝負です。
二次会、昔話をいっぱい。そうそう、来年度の市小P連会長が内定いたしました。わたしは理事としてサポートすることになるでしょう。広報専門委員長じゃなくなるから、きっと少しは(区内の取りまとめ役のぶん)楽になるはずだったりしますが、はてさてどーなるのでありましょうか。


Comments
ニュースでは見ていても、身近な人(身近といえる関係じゃないかもしれないけど…)が実際体験したことというのは、深く心に刻まれます。
その後のアンケートでも、「一番大切なものは何か?」という問いに、「人のつながり」という答えが一番多かったとか。かいちょーさんの言葉、キレイごとじゃなく、本当の気持ちなんだなって、感じ入りました。
「地域との連携」とか言われてもなかなか実践できなかったけど、それを心から求め、実践してるかいちょーと、その地域の人々は素晴らしいと思います。
感動しました。
Posted by: すずめ | 2005.01.18 at 07:05 PM
ちょっとカッコ良すぎる? でも実感なんだよね。そりゃまあ、都会ですから、一筋縄じゃいかないけれど、あれを経験した人は大なり小なり感じてるはず。体験してない人に「あの悲しみを、あの苦しみを忘れないで」とか言っても「はぁ?」だよね。体験してない人に伝えられるのは、楽しいこと、明るいことだよね。
なもんで、神戸は元気です。元気な人がいっぱいいます。遊びに来てね~
Posted by: かいちょー | 2005.01.18 at 10:46 PM